lis's blue bird.

書くことは、過去にすること。

4/19

恋人が出来た、とても嬉しい。彼はとてもやさしい。彼といろいろな場所へ行きたい。恋愛感情は、見慣れた景色に、新しい色を重ねてくれる。その景色には様々な思い出があり、思い出は他の思い出を邪魔しない不思議な色を持っている、どんなに重ねても、とても調和が取れた色彩を持つ。

2/26

好きな人と遊園地に出かけた。とても楽しかったけど、心に穴が空いているかのような空虚感がある。なぜかわからない。私が病気だからなのか、何なのか。怖い。これが欲しいと言って、いざそれが与えられると不安になる。真意を探ってしまうのは、本当は恋愛感情が理解出来ないからかもしれない。性欲なしに恋したことが無いので、これが本当に恋愛なのかも分からない。私のことを大事に思ってくれるひと。私のことを心配してくれる人。優しい人。

知ること、理解すること

好きな人と、私と会う頻度はどれくらいが良いか、と話し合えた、私がロマンチストなのを理解してくれて、サプライズが好きかどうかを聞いてくれた。

昔のことだが、相手という人間の本質を理解するためにゲームをしたいという人がいた、理解したところで意味がないってなぜ分からないのだろうか、前提として、人間は複雑すぎて、自分ですら自分のことが分かっていないはずだ、「知りたい」なら分かるよ、でも「知りたい」はありのままの客観的な事実を知りたいってこと、理解はその裏も知りたいってことだと思う、事実の裏側、なぜそうしたのか、抽象化するとその行動はどういう意図なのか、でもそれって全然意味ないんだよ、行動なんか複雑な変数が混じった気まぐれな計算結果に過ぎないよ、むしろ理解に繋げないで欲しいとすら思った、私はこうした、あなたはこうした、ただそれだけだったで、いいじゃない。ああ、そうなんだね、と言ってそばにい続けられるか、ただそれだけじゃない。

好きな人のこと

私には今好きっぽい人がいて、その人と喋っていると落ち着く。というか、気取らなくて済む。私は実際どうかは置いておいて、誰かといると好き嫌い関係なく、結構気を遣ってしまう。私が気を遣わない相手というのは、相当限られている。彼とは、初めて通話した時から、何故か気を遣わずに話が続いて、気がつくとどうでもいいことを2~3時間くらい喋ってしまう。会った時も気取らずに喋ることができて、とても居心地が良いのだ。そんな感じで、私が自然体でいられるという理由から、彼に興味を持った。彼自身はいたって普通の人だ。何かに特別な思い入れがある訳でもない。だけど、とても良い美徳がある。強いこだわりが無いことと、何かを主張する時に否定から入らないこと、「こういう人は嫌だ」などの偏見が無いことだ。こういった穏やかな人は、我が強い人が多い私の周囲では非常にレアなタイプだ。彼は自分の話を一方的にしてこないし、強い主張もしない。必要以上に自分を卑下したりもしない。何より、彼自身に強く傷付いたトラウマの傷跡からくる歪がない。そこから来る穏やかさは、美徳そのものだと思う。人の話をよく聞いて、よく笑う。彼といると、私は穏やかでいられる。

我が強い人も好きだ。「自分はこう思う」という主張があることは、素晴らしいし、譲れない何かがある人や、熱中できる物事がある人には強い憧れを抱く。実際、今まで付き合ってきた人の殆どが、こういったタイプだった。私は何かに熱中することが出来ないからだ。だから、心から尊敬している。

しかし、こういった人たちとは、友達くらいの距離感がベストなんじゃないかと、この年になって気付き始めた。憧れはあるが、私とは相性が悪い、もしくは、私には器量が備わっていないのだと思う。もしこの感覚が正解だとしたら、この相性が意外にも間違っていなかったら、と考える。29歳の私がそばにいて欲しいと思う人は、彼のような人なのだろうか。私は興味本位で、彼と付き合ってみたいと思ってしまう。この人といると、私はどう変われるのだろう?という、至極自分本位な理由で。

妊娠と結婚についての考え

2023年のトラブルで懲りたので、結婚は本当にしたくないと思った。結婚しても、裏切られる時は裏切られるからである。関係の安全を保障する意味で結婚するという形に拘っていた私は、それを約束しているのにも関わらず裏切られることで、結婚は意味をなさないだろうということに気づいた。なので、私が人間関係で求めているのは、結婚に相当する関係の深さや親密さだ。

来週で、私は29歳になる。

私は子宮内膜症PMSが重いことから、ピルを服用している。ピルを飲まないと、生理痛が酷くて、階段の上り下りが出来なかったり、痛みで泣いたり、吐いたりしてしまう。生活が成り立たない。万が一妊娠するということは、ピルを飲んでいれば起きない。しかし、もしこれから先に自分が妊娠することがあったら、子供を産もうと思っている。今は両親の体調が良く、信頼している両親がそばにいる環境であるのなら子育てが可能だと思うからだ。しかし、子育ては結婚せずに一人でしようと考えている。

多くの人は、人の立場に立って、人の苦しさを想像することができない。性別が異なると尚更困難だと思う。また、出来たとしても、100%の理解は出来ない。一人の人間の体の中に、もう一人の人間を持つ機能があることや、子供を産んで、育てるという大変さを、性別が異なる配偶者は想像出来ないと思うからだ。想像することができない他者も、その人なりのペースで体調や気分が良くなったり、悪くなったりする。全てその人経験に基づいた基準がある。私の基準は、私が過去辛い経験をしていたり、重い生理痛を持っていたり、ストレスや吐き気で電車に乗れなかった時期があったり、PTSD双極性障害、ひどい不眠症明晰夢の症状があることから、かなりおかしいと思う。自分ひとりのことで手一杯で、近い距離で誰かの面倒を見ることは厳しい。

子供の責任は生みの親として取れるが、他人の面倒を見る責任が取れる自信がない。シンプルに、もうこれ以上他人のことで傷付きたくないのだ。心から。

だから私は、仮に妊娠することがあったら、籍を入れずに一人で子育てをしようと考えている。

私の決意や、考えはとても固い。それは、辛い経験をすればするほど、他人に一切の期待を持てなくなったことから、強くなっていった。

しかし、心のどこかで、私の決心が崩れ落ちるような出来事があったらと思ってしまう。ロマンスをどこか求めている自分もいる。信念がほぐれるような出会いや変化が人生であったら、それは本当に幸せなことであると、いまだに夢を見てしまう私が、ひっそりと固い信念にもたれかかるようにして、私を見つめているのだ。

1/10

先日、会社の人とリモート飲み会をした。そこで驚いたのは、同じIT業界の人でも、一日中パソコンの前にいる人は私だけという事実だった。みんな、パソコンにふれるのは、仕事の時だけらしい。趣味で触れることはないそうだ。また、飲み会に参加した人の中で、学校の先生をしている人がいた。その人の授業にいる生徒たちには、パソコンもろくに触れない人たちもいるそうだ。マウスの使い方が分からないレベル等だ。なので、どうしたら楽しくパソコンに触れられるか、どうやってしてパソコンに接する機会を増やせるかという相談をされた。インターネット中毒の私には、まったく理解できない悩みだった。普段どういう時にパソコンに触れますか?という質問に、私は、メモを取ったり、ブログを書いたり、アフィリエイトをしたり、ゲームをしたり、動画を見たり、様々なことをパソコンで日々やっていると答えた。いつからパソコンに触れていたかというと、私は小学生の頃からだった。パソコンでHPを作ったり、絵を描くのが好きだった。すると、それはコアな人だけですよと一蹴された。そうか、ある人たちにとっては、パソコンは仕事道具なのか……。という体験があまりにも驚きだったので、ここにメモを残しておく。