人間関係で重要なのは、距離感だと思う。最近そう思うようになった。過去の交際トラブルも、相手が悪かったとは思わない。誰しも、最初から私を傷付けてきた訳ではない、恐らく私との距離に問題があった、お互いに距離を見誤って、結果的に傷つけあうことになってしまったのだと思う。相手も悪くない。私も、悪くない。人はちょっとずつ変わる。環境、体調、触れるモノ作品人なんでも、その人を一秒一瞬で変えていく。ずっと同じ人はいない。私はちょっとずつ変わった。相手もちょっとずつ変わった。距離も変わった。だから、ベストな距離を見誤った、この見誤りを見抜けないのが、所謂相性が悪いということだと思う。あなたと関係する、最適な距離を見出せません。だからみんな、終わったのだ。
忘年会の感想
前職の人たちと忘年会をした。一昨年、昨年と経過につれて少しずつ雰囲気が変わっていく。女の人は、子供が生まれて子育てをしたり。男の人は、おしゃれになり雰囲気が変わったりしていた。聞けば、その男性にも恋人が出来たとのことだった。昔より柔らかい表情で話す彼は、今とても幸せなのだろうと伝わってくる。「このままいけば、まあ来年は結婚しているんじゃないかな」と穏やかなトーンで話していた。心から良かったなあと思う。また、親になった人の顔は凄く凛々しくて、私はまだ明確に子供が欲しいと思わないが、その表情になれることに憧れを抱いてしまう。
私は、また人を好きになって、良い方向に変わっていくことが出来るのだろうか。早く、あの場にいたみんなのように、凛々しくて、穏やかな私になりたいという焦燥感と、今はまだ古傷がズキズキと傷む、そのどちらもを感じる複雑な体験をした。
2023年の振り返り
1年の振り返り
1月~3月:精神的に地獄
4月:破局
5月:クソ元気
6月~8月:記憶なし
9月:PTSDが悪化する、入院
10月:休職、転職活動
11月:内定、のんびり
12月:ナウ
月毎の詳細
2023年は修羅の年だった。もうこんな年は二度と再現されて欲しくない……。
1月~3月にかけては、当時の交際相手とのトラブルが絶えず(同棲や結婚等の現実的な話が進まない、とか)精神的に消耗していた。
4月は遂に、相手側がネットで知り合った地方にいる異性に会いに行っていたことが判明して、そのことを追及したら逆ギレされ暴言を吐かれて破局。
この出来事で、人間不信が爆速してPTSDになった。
一方で、5月以降は、破局したことで、相手のことで悩む時間が無くなりめちゃくちゃ元気になった。今思えば、躁状態だったのかもしれない。この辺りから、マッチングアプリなどを始めて、人気会員になり、様々な人とマッチしていた。自分の知らない職業や業界について知るきっかけとなる社会科見学を繰り広げていた。
6月から夏にかけては、あまり記憶がない。仕事でかなり大きな成果を得て、仕事面で満足をしていた記憶はうっすらある。
9月は躁状態とPTSDが悪化して、攻撃的になり、元交際相手とトラブルに発展した。そのまま私は入院することになり、同月内に退院している。退院後、休職状態から復職するにあたって、今度は会社とトラブルになり、退職勧告に近い嫌がらせ行為を受ける(元居た部署に戻れない、リワークプログラムの半強制など)。予想はしていたので、転職活動に力を入れていた。11月には内定が出たので、のんびりと友達と遊んだり、読書をしたりして過ごしている。
2023年は、結婚願望がかなりあったが、こんなことになると思わなかった。今では、「自分が本当に望んでいるのは結婚という体裁ではなく、それに伴う信頼関係の構築だよな……」となり、逆に結婚が怖くなってしまった。上半期のトラブルが結婚後に起きていたらと思うと、心からゾッとする。もっと早く別れたら良かった……。
このブログは、Twitterで書きづらいことを積極的に長文で言葉にしていきたい。
今まで通りのブログの運用と思いきや、前のブログは、元交際相手に知られており、希死念慮を赤裸々に語ることが出来なくなってしまったのでクローズした。というのも、私が入院するきっかけも、私自身の自殺衝動を元交際相手に伝えてしまったからなのである。彼は、相当な悪意があり、私が精神病院などどこかに長期的に閉じ込められていることを望んでいる。私のTwitterやブログを見て、希死念慮について語ると、それを見て、9月と同様、強制入院をすべきだと病院に連絡してくる可能性がある。それがあまりにも怖いので、泣く泣く思い入れのあるブログを手放した。
とは言え、心機一転、やや別人として記事を書けるのは嬉しかったりする。
2023年はあまりにも酷い年だったので、24年以降がどうなるのか、少しだけ楽しみな自分がいるのだ。
感性をパクられるのが憎い
感性をパクられるのが憎いと感じてしまう。
感性とは、経験の一種だと思う。私の感性は、私が巡り合った友人との出会いや会話で育まれてきた。一つ一つの""好き""には、私なりの沢山の思い出があって、「私はこの作品やブランド、お店が好きだ」に繋がっている。
なので、感性をパクられるということは、大事な友人との思い出を盗まれる気持ちになる。
私はよく、仕事でも私生活でも「あなたのセンスが良い」と褒められることがある。それは、私のこれまでの経験や人間関係を褒められているかのような気持ちになるので、とても有難く嬉しい言葉だ。
だから尚更、真似をされるのが憎いと感じてしまう。
同時に、なぜ試行錯誤しないのだろう?、なぜ自分の経験を信じないのだろう?という疑問を抱いてしまのだ。
私にとって、感性をパクられるということは、これまでの過去を軽んじられたり、自分自身を信じることが出来ない弱さを持っている人への苛立ちを感じさせたりする行為なのかもしれない。
新宿の気持ち悪さ
これは以前、Twitterにも書いたことだ。
双極性障害で社会から隔離されている期間、トーヨコキッズに会った。
彼女には、沢山の頼れる友達がいるらしい。恐らく、買春仲間だと思う。
病院にきた彼女の身体には、ひどい虐待の跡があった。
親からわざと、火傷させられたと話していた。
病院にいる人たちは、彼女と同じように、家族から虐待された人が9割を占めるらしい。もれなく私もそうだった。
彼女は親を頼れない。だから、買春仲間を頼る。彼女は買春を止めることができないだろう。死ぬまで身体を売り続けるのだと思う。死ぬというのは、幸せに死ぬことではない。性病になったり、悪い人間に絞められる可能性の方だ。
少しだけ会話が通じない彼女は、無邪気にセックスの話をし始めたかと思えば、警戒する猫のようにジッと私を見つめたり、反応が不安定だ。
彼女のような、所謂境界知能と呼ばれる人たちが買春をしたり、精神病院に入ったり、警察に捕まったりを繰り返して、それらの客層がぐるぐる回っているのだと思う。
私は新宿という町によく出かけていた。
でも、そこでは彼女のような人々が性的に利用されたり、警察に捕まったり、時には死んでしまったりしているのかもしれない。
なんとなくそのことは理解していたが、彼女のような当事者を目の前にして、何とも言えない気持ちになった。
そのホテルのInstagramのハッシュタグは、いつ見ても、とても華やかな写真が並んでいる。着飾った人、美味しそうなケーキと紅茶。
しかし、背景の夜景に写るビルには、彼女のような人の寂しさや弱さを利用する悪い大人がきっと働いている。
二つの欲望のコントラストに、思わず眩暈がするのだ。
今日も新宿には、様々な欲望が渦巻いているのだろう。
本当にその夜景は、美しいのだろうか。
オンライン面接の準備と受け方
面接の受け方のメモ
最近、就職活動をしている。そこで、こんな風に面接を受けているという方法をまとめてみた。
私的には、これが気持ちが楽になる面接の受け方だ。
面接の準備
まず、面接の準備で、暗記の伴う会話の練習をしない。前は喋る練習をしていたが、暗記している文章は自然な会話にならない。
*1面接は、自分という商品をやんわり売り込む場だと思う。なので、一方通行な営業はしない。自然な会話になるよう心掛けている。
その代わり、思考整理のまとめ作成をする。要はカンペである。
この思考整理のまとめを見ながら喋って、面接を受ける。
例えば、面接でされるあるある質問は、予め質問に対して自分の考えをまとめておく。
notionでマークダウン機能を使って整理する。
この時、なるべく長文は避ける。
カンペなので、見づらくしないようにするためだ。
質問に対する回答をまとめたら、notionの目次機能を使う。
こうすれば、面接中に質問されたセクションに飛んで、確認しながら喋ることができる。
面接中について
なので、面接中のPC画面は下記のような感じになる。
これで、カンペを見ながら面接を受けることが出来る。
話す時は、カンペのリスト→子要素→孫要素と順番に話せば、頭が混乱せずに済む。(当たり前)
私はあがり症なので、会議の議事録もこの構造になっていないと、物事をうまく伝えることが出来ない……。
あとは、聞かれたことに答えるだけだ。
会話なので、自分が喋っているターンが多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。また、相手が喋っているときは頷いたり、傾聴の姿勢をアピールしている。
こんな感じで面接の準備をしたり、面接を受けている。
余力があったら、履歴書と職務経歴書の書き方もまとめたい。
今日の体調メモ
今日は午前中はうつ状態の感覚で、夕方以降の時間帯躁状態だった。
人と喋っていないと(厳密には人のペースに合わせて、物事を考えたり、会話のための思考リソースを割かないと)どんどん思考が加速して、最終的に「死ぬぞ!」という結論に至ってしまう。薬を飲むと、体感で頭の回転の速度と思考の広がり具合が30分の1くらいになる。薬を誤って飲み忘れると、父親に「薬飲み忘れていない?」と聞かれるほど、薬のあり/なしで明確な差が生じてしまっている。