lis's blue bird.

書くことは、過去にすること。

感性をパクられるのが憎い

感性をパクられるのが憎いと感じてしまう。

感性とは、経験の一種だと思う。私の感性は、私が巡り合った友人との出会いや会話で育まれてきた。一つ一つの""好き""には、私なりの沢山の思い出があって、「私はこの作品やブランド、お店が好きだ」に繋がっている。

なので、感性をパクられるということは、大事な友人との思い出を盗まれる気持ちになる。

私はよく、仕事でも私生活でも「あなたのセンスが良い」と褒められることがある。それは、私のこれまでの経験や人間関係を褒められているかのような気持ちになるので、とても有難く嬉しい言葉だ。

だから尚更、真似をされるのが憎いと感じてしまう。

同時に、なぜ試行錯誤しないのだろう?、なぜ自分の経験を信じないのだろう?という疑問を抱いてしまのだ。

私にとって、感性をパクられるということは、これまでの過去を軽んじられたり、自分自身を信じることが出来ない弱さを持っている人への苛立ちを感じさせたりする行為なのかもしれない。